「虎と小鳥のフランス日記」「虎と小鳥のフランス日記」 第10話 「ヴェリブでパリを」学習メモに出てくる三つの場所 - サン・ドニ門、コンコルド広場、チュイルリー庭園について少し調べてみました。

Porte Saint-Denis

サン・ドニ門横から

サン・ドニ門
photo credit: Bolt of Blue via photopin cc

サン・ドニ門 10区Rue Saint-DenisとRue du Faubourg Saint-Denis の境目

下町にこつ然と現れるこの門はパリにある五つの凱旋門*のうち、もっとも古く、1673年にルイ14世のドイツでの勝利を記念して作られました。

ルイ14世は、「虎と小鳥のフランス日記」 第9話 「ヴォージュ広場・かくれんぼ」に出てきたルイ13世の息子で、ブルボン朝第3代の王様。

この王様の時代がブルボン朝最盛期で、Roi-Soleil(太陽王)と呼ばれました。「L'État, c'est moi 朕は国家なり」と言ったとヴォルテールが書いています。

門をデザインしたのはフランソワ・ブロンデル(当時の建築学校の学長)。高さ およそ25メートル、アーチの高さ15メートル、幅が25メートル。昔は、両方の門の下のほうに、人が通る場所がありましたが、今は閉じられています。

門のあるあたりは、パキスタンやインドからの移民が多く、昼間は無国籍な雰囲気が楽しい街、しかし、夜は街娼が立つそうですから、ひとり歩きはどきどきしそうな街。

*パリの五つの凱旋門:凱旋門、カルーゼルの凱旋門、サン・ドニ門、サン・マルタン門、新凱旋門

続きでは、コンコルド広場とチュイルリー庭園について書いています。

Place de la Concorde


コンコルド広場
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コンコルド広場   Jardin des Tuileries チュイルリー公園(西)とシャンゼリゼ通り Champs-Élysées (東)の間。8区

名前の変遷
1. ルイ15世広場 Place Louis XV 1755年建築。はじめはルイ15世の騎馬像が設置されていた。

2. 革命広場 Place de la Révolution フランス革命後、もう王さまはいないし、ということで騎馬像は撤去、改名。(このパターン、よくありますね)。騎馬像の代わりにギロチン台を設置し、ルイ16世や、マリー・アントワネットなど1300人以上を処刑した。

3. コンコルド広場 1795年~ concorde は「調和」という意味。ギロチン台はもちろんなく、かわりに(?)1836年にエジプトからおくられたオベリスクが建っている。


Jardin des Tuileries


チュイルリー庭園
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チュイルリー庭園    Place de la Concorde, 75001 Paris 8区

17世紀から19世紀までフランスの王様たちが使っていたチュイルリー宮殿の跡地。

17世紀の半ば過ぎに、王様の家はヴェルサイユ宮殿に移りましたが、革命のとき、ヴェルサイユからパリに連れ戻されたルイ16世一家が暮らしていました。

その後ナポレオンが一時期住んでいましたが、1871年、パリ・コミューンのとき、燃えました。外壁しか残らず再建不能だったので、1883年に撤去。今は、庭園だけ残っていて、市民や観光客の憩いの場となっています。

この庭園は広い道を中心にして左右対称の形で、フランス式庭園だそうです。


Fête Foraine du Jardin des Tuileries


チュイルリー公園の夏のフェスティバル
photo credit: Pierre Châtel via photopin cc

ビデオに写っていた屋台は夏場のお祭り(Fête Foraine du Jardin des Tuileries)のときのみ出現します。去年のスケジュールを見ると、平日の終了は夜の11時間45分で、土日は0時45分でした。Camilleはいったい何時間かけて、10区から8区まで行ったのでしょうか。

・・・・・2012年4月13日に書いた記事を少し書き換えました。・・・・