子ども新聞の和訳記事。きょうはジャン・ジョレスについてです。

ジャン・ジョレス

Jean Jaurès expliqué aux enfants. | 1jour1actu - Les clés de l'actualité junior 3 janvier 2013

Portrait n°3 : Jean Jaurès, le professeur socialiste
肖像#3:ジャン・ジョレス:社会主義の先生

あなたの学校の名前は彼の名がついているかもしれませんね。でもその名前の背後にいったい何が隠されているのか聞いたことがありますか?

1jour1actuは冬休みのあいだ、人物紹介シリーズをお送りします。学校の歴史に関係のある有名な人物をすべてカバーします。三番目の人物はジャン・ジョレスです。

私の名前
ジャン・ジョレスです。私の父、ジュール・ジョレスは小市民(petite bourgeoisie 中流の下ぐらいらしいです)の家族の出で、農場を経営していました。母はアデレード・バルバザで家にいて、私と私の弟のルイの教育をしてくれました。

誕生日
1859年9月3日に、タルヌ県カストルで生まれました。私は17歳になるまで、タルヌの父の農場のある田舎で育ちました。学校ではよくできました。成績がよかったのでパリのサント・バーブ中学に入るお金を得ることができました。

そこで終わったわけではありません。バカロレアのあと、パリの権威ある高等師範学校に入る機会に恵まれ、そこで哲学を学びました。1881年に修了証を得ました。

私の職業
始めは教師でした。アルビのリセで哲学を教え、その後、トゥールーズ大学で教えました。しかし、すぐに私はジュール・フェリーのように政治に興味を持ちました。

そもそも、私のキャリアの最初は彼の思想に近い考え方をしていました。1885年に、私はタルンの代議士に選ばれました。しかし、長くは続かず、また教職に戻りました。この時期に社会主義に興味を持ちました。

私の好きなこと
教師の仕事を忘れたことはありませんが、政治に情熱を持っていました。

生涯、私はより貧しい人の権利のために戦ったのです。また、ジュール・フェリーのようにライシテのために戦い、また平和のためにも戦いました。1905年にフランス社会党 (SFIO)という政党を設立しました。

私が学校のためにしたこと
私は教えることが上手でした。いつも教師だったわけではありませんが、学校は私の人生においてとても大切なものでした。

私は学校は子どもの教育にとって本物の役割りを果たしていると思います。子どもたちは学校で文化や知識を得ることができるのです。

教育のおかげで、子どもたちは新しいことに出会います。ルイーズ・ミシェルと同じように、私は学校は男女、ひいては人類の平等を推し進める手立てとなる場所だとみなしていました。

学校は、何よりもあなたが行くのが好きな所で、自分自身の考えをはぐくみ、才能を開花させる場所です。学校のおかげで、あなたの人生が実り多いものになり、自分の好きなことができるようになるのです。

生涯のあいだずっと、私の時代の為政者に自分の考えを認めてもらおうと戦いました。私は1914年、パリで死にました。

私が学校を定義する言葉
自由化、無料、そしてもちろん平等です。

私の著作
De l’éducation 「教育論」 この本には私の学校に対するすべての考えが書いてあります。教育機関が人の文化や才能を開花させる点を再確認しています。

私の名前
私の名前は341のフランスの幼稚園や小学校の名前になっています。私はジュール・フェリーとともに、学校の無償化とライシテと平等のための戦いの象徴です。


きょうの単語  socialisme 社会主義

socialismeは政治思想のひとつの派。socialismeはひとつだけの組織と社会の平等をもたらし、より貧しい人の生活を向上させ、より正当な社会にすることを目的としています。

socialismeは「社会のために成す」という意味のラテン語«socialis»が語源です。

※単語メモ
exploitation agricole 農場
École normale supérieure 高等師範学校
acceder à (情報、知識を)手に入れる
avant tout  何よりも
s'épanouir 才能、文化などが開花する
émancipation  解放、自由化
établissements scolaires 教育機関



ジャン・ジョレスは19世紀末のフランスにおける偉人です。穏健な社会主義者で、博識でスピーチがうまく、またひじょうに寛大な性格であったので大衆に愛されていました。平和主義者であり、戦争には強固に反対。

第一次世界大戦の直前、フランスでナショナリズムが台頭していたとき、彼は戦争に反対し和平を勧めたので、ドイツと戦争するべきだと信じていた若い熱狂的な国粋主義者に暗殺されました。

メトロの駅、道路、広場、博物館などの名前にもなっています。フランスの社会主義の生みの親のような方なので、現代の社会党の政治家もスピーチで彼の話しをします。

暗殺された場所は今もモンマルトルにあるカフェ。ここで晩御飯を食べてたらしいです。写真はWikiのCCライセンスのものです。

カフェクロワッサン