
元記事 → L'indépendance de l'Algérie expliquée aux enfants | 1jour1actu - Les clés de l'actualité junior 19 mars 2012
Il y a 50 ans, l’Algérie devenait indépendante
アルジェリアが独立してから50年です。
1962年の3月18日に、フランス政府と、アルジェリアの暫定政府が「エヴィアン協定」に調印しました。この協定は戦争の終結と、アルジェリアの独立を認めるものです。しかし、アルジェリアが公式に独立したのは1962年7月5日のことでした。
今日のアルジェリアは自分たちの政府と大統領を持つ独立国家です。けれども132年間、アルジェリアはフランスの統治下にありました。アルジェリアはアフリカ大陸の北のほうに位置する国ですが、当時、三つのフランスの管轄区に分けられていました。アルジェリア人はフランスの法に従い、子どもはフランス語を学校で学びました。
なぜアルジェリア人はフランス語を学ばなければならなかったのでしょうか?
19世紀にヨーロッパの大国はほかの国を植民地にしました。フランスはモロッコ、チュニジア、そしてアルジェリアといった多くのアフリカの国を植民地化したのです。
どうやってアルジェリアは独立を果たしたのでしょうか?
1954年以後、アルジェリアの独立運動が起こりました。運動の中心になっていた人は、もうフランスに頼るのではなく、自由を求めました。彼らはアルジェリア出身のフランス人と、ヨーロッパ出身のフランス人の権利が同じではないことが不当だと思っていました。たとえば、アルジェリア出身のフランス人はほかのフランス市民とは違い、選挙権を持っていなかったのです。
さらにヨーロッパ出身のフランス人は力があり、アルジェリアのガスや石油といった資源を握っていました。独立派(les indépendantistes)は、自分たちの主張を知らせるため、1954年にテロを決行しました。これに対して、フランス軍が応酬し、戦争が始まったのです。
1954年から1962年に、200万人のフランス兵のうち130万人が、アルジェリアと戦いました。この戦争は8年間続き、アルジェリアの独立を認める形で終結しました。しかし、この戦争によって生まれた両者の憎しみをなくすためには時間がかかりそうです。フランス人とアルジェリア人の多くが、今もこの戦争のことを忘れてはいません。
植民地政策が今も残しているものは?
もしかしたら、あなたは、アルジェリアやチュニジア、モロッコに行ったことがあるかもしれませんね。その時、みんなすごくフランス語がうまいことに気づいたのではないでしょうか。彼の地で、長期にわたり、フランス語は公式言語であり、学校で学ばれ、行政で使われてきたからです。アルジェリアの首都、アルジェは、いまだに少しフランスの都市に似ています。ビルや、道路、そしてパン屋さんまで、フランスの植民地であった名残を見せているのです。
◆きょうの単語
colonie 植民地
ラテン語の「田舎にある所有物」という意味の colonia が語源。
coloniser 植民地化する
colon 入植者、(植民地に住む)本国人
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19世紀半ばに、フランスの植民地になったとき、たくさんのヨーロッパ人がアルジェリアに入植し、こういう人達と、アルジェリア人とのあいだにかなりの格差がありました。自分たちの国に勝手に入ってきて、いいところを全部持っていかれたら、頭に来るのも当然ですね。
アルジェリア戦争はとても悲惨な戦争で、100万人も死者が出たそうです。この記事では簡単に書いてますが、独立派は武装闘争だったので、街中の建物をどんどん破壊していったり、爆弾を落としたり、かなり過激なテロでした。また、フランスは61年ぐらいにサハラ砂漠で核実験をしていたそうです。
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・・・・・2012年3月19日に書いた記事です・・・・・