
この回はパリ市の北東部が舞台です。中心部とは違った味わいがありますね。古くて田舎っぽい雰囲気がよかったです。
La sortie du métro Jaurès 地下鉄「ジョレス」駅 1903年の2月にオープンした古い駅です。2号線、5号線、7bis線が通っています。ここはちょうど10区と19区の境です。

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名称の変遷があり 最初は Rue d'Allemagne ドイツ通り → Rue de France フランス通り → 今の名前。ドイツからフランスに変わったのは、第一次世界大戦の直前で、フランスが、ドイツと敵対していたからです。今の名前は政治家のジャン・ジョレス Jean Jaurèsにちなむもので、1914年、彼が暗殺された翌日にこの名前になりました。
☆ジャン・ジョレスについてはこちらを⇒ジャン・ジョレス:社会主義の先生(ポートレート#3)
Le Jaurès Café ジョレスカフェ; Camilleが冒頭、Antoineとカメラに挨拶しているときバックに写っていたカフェ。駅の入り口を出たところにあるせいか、混んでいました。なかなか大きなお店で、中はレストランでもあり、夜はバーにもなります。ワインもたくさん種類をそろえているようです。観光客でにぎわっていそうです。

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1 Avenue Jean-Jaurès75019 Paris
公式サイト

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Canal de l’Ourcq ルルク運河;パリの北東にあるラ・ヴィレット貯水場(Bassin de la Villette)とセーヌ川を結びつける水路として、19世紀始めに建設されました。先生の解説にあるとおり、途中でサン・マルタン運河となります。運河を作った理由は飲み水の確保のためですが、その後、水上交通に利用されます。鉄道や車がなかったので、水の上を運ぶのが一番効率がよかったからです。
この運河沿いは、以前は犯罪の巣窟というか、ドラッグディーラーや、犯罪者、ホームレスがたむろする場所だったらしいですが、今は、動画で見られたように、人々の憩いの場所になりました。
これは、ミッテラン大統領が進めた『グラン・プロジェ(パリ大改造計画)』の一環として再開発、高級住宅化が行われたせいです。夜景もきれいです。
・・・その2に続きます。