
きょうのフランス語はnoyade 「溺死」という意味です。後半では、ナントの大量溺死刑(1793)について書いています。
例文:溺死の危険があるので、今朝、浜には赤い旗が掲げられた。
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hisser (帆、旗などを)(綱をひいて)掲げる
hisser les voiles 帆を掲げる
en raison de
L'excursion a été remise en raison de la pluie.
雨のせいで遠足は延期された。
noyade 溺死、水死
noyade は noyer
sauver qn de la noyade 溺れかけた人を救う
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noyades de Nantes ナントの大量溺死刑
1793年に山岳派が多数の政治犯に対して行った刑
と辞書に書いてありますが、罪のない一般市民もたくさん殺されました。
山岳派(Montagnards)、革命政府の一派です。国民公会においては、左翼勢力。
議会で一番高い位置に席があったので、山岳派と呼ばれます。
フランス革命の末期は、ロベスピエールなどが独裁恐怖政治をやっておりました。政府からナントに派遣されたジャン・バチスト・カリエという人は、革命政府の言うことを聞かない司祭(カソリック)たちをまとめて、廃船にぎゅうぎゅう詰めにし、ロワール川の沖に出たあと、船の底板をはずして、溺死させるという処刑をしました。

1回ではありません。1793年11月から翌年の2月にかけて、何回もやっています。
最初はカソリックの司祭が殺されたのですが、そのうち、革命軍の言うことを聞かないという理由で、子どもを含む一般市民も沈められました。沈められる前は、衣類をはぎとられました。男女をペアにして、縄でしばって沈めたりということもありました。冬場で寒かっただろうに。
泳いで逃げようとしたものは、銃で打って息の根を止めました。
犠牲者の数は学者によって違うのですが、その数3000人以上とのこと。もっと多いという人もいます。
船に乗せられず、ふつうに処刑された人もたくさんいます。
ナントのすぐ南にヴァンデ県というのがあり、ここでは1793年春に、カソリック王党派の農民が武装蜂起して、革命政府(共和国)と戦争を始めました。
このとき、共和国がつかまえた捕虜がナントの刑務所にたくさん収容されていました。
囚人に与える食事が足りず、共和国の兵士への食事も賄えなかったし、疫病もはやっていたので、カリエは、囚人を一気に片付ける方法として、溺死させることを思いついたのです。
まさに恐怖政治です。
彼自身も、のちにこの大量虐殺で告発されパリで処刑されています。
今でもナントでは追悼の集まりが持たれています。
※YouTubeで見る方はこちらから⇒Commémoration des Noyades de Nantes (novembre 2011)
自由を求めて始めたはずの革命。しかし、言うことを聞かない人間の自由は奪うのです。
大量虐殺は極限状態における人間の本能のなせる技でしょうか?
恐ろしいです。
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