読解編第六回の授業を見た。予習は二日前にしたが、二日たつとけっこう忘れてるもんだな、と思った。きょうの講義は1時間8分。前半を聞いてるとき、ちょっと寝てしまった(先生すいません)。また後日、聞き直さねば。文法項目などの復習はしていないので、とりあえず感想だけ書いておく。
1.西洋語に助詞はなく、動詞を核にして置かれた名詞の場所によって、主語、目的語を判断するという点と無生物主語が多いという点について。

これは英語も同じで、もちろん知っていたが、あらためて納得した。私は、主語は一応文の最初に持ってくる。しかし、ほかの要素を日本語的な発想、文法力のなさ、その他の要因で、あまり英語らしくない場所におくと、通じない、ということ。たとえば簡単で極端な例をあげると、

①私はみかんを食べた。という文を ②みかんが私を食べた、と言ってしまった場合、私は、「みかんが私を食べるわけないじゃん、常識からわかりそうなものだ」と思うのだが、西洋語を話す人達には、文の要素は場所で決まるし、みかんという無生物主語が来ることも多いにありうるので、②という文章は、絶対①という文章には解釈できない、ということなのだね。


2. 無生物主語

この言葉を初めて見たのは高校で使った参考書だと思う。名詞構文という言葉も習った。厳密にいうと無生物主語と名詞構文は違うらしいが、フランス語、スペイン語、イタリア語などのラテン系言語に無生物主語が多いらしい。

↓ このページにそういうラテン系言語が母語の人が書く英語の特徴として、以下があげられていた。

http://haken.issjp.com/cgi-bin/trend/detailcolumn.cgi?col...
『実務翻訳のあれこれ』第二十四回:ラテン英語入門・前編
http://haken.issjp.com/cgi-bin/trend/detailcolumn.cgi?col...
『実務翻訳のあれこれ』第二十五回:ラテン英語入門・中編
http://haken.issjp.com/cgi-bin/trend/detailcolumn.cgi?col...
『実務翻訳のあれこれ』第二十六回:ラテン英語入門・後編


◆ラテン英語の特徴◆
(1)修飾関係があいまい
(2)名詞構文が多い
(3)言葉数が少ない
(4)言葉の意味がラテン系言語に引きずられる
(5)一般英語と比べて時制が少ない 


3.今回は下線部3の意味の訳が難しかった。

J’ai ainsi eu, au cours de ma vie, des tas de contacts avec des tas de gens sérieux. J’ai beaucoup vécu chez les grandes personnes. Je les ai vues de très près. Ça n’a pas trop amélioré mon opinion.

私の訳 → こうした人生を送る過程で、大勢のまじめな人たちとの接点がたくさんあった。そういう大人達の家でよく会った。ずいぶん親しくなった人もいる。でも、そうしたことによって、僕の大人というものに対する評価がよくなったわけではない。

先生の訳 → そうこうする間、私は多くのまじめな大人たちとずいぶんつきあってきた。大人たちと一緒に暮らしてきたし、間近でみてきた。しかし、そうしたからといっても、私の考えはいいものへと変わることはなかった。


私は、なぜか、vécu を 「会う」という意味にとってしまった。この単語は辞書をひいてない。先生が、「人の家で生きるということは住むということで」、みたいなことをおっしゃった(すでにうろ覚え)。それはそうだろう。アメブロのコメントらんに、「このあと、ブリッジやネクタイやゴルフの話をしたとあるので、軍のパイロットとして、あちこち飛んでいたとき、軍の宿舎やキャンプでほかの大人たちと暮らしていたんだと思う」、と書いたけど、chez les grandes personnes の場合、この家の持ち主はそういう大人たちだから、違うのかなぁという気も、今になってする。 自分にとって、chez はおもしろいというか、わかりにくい前置詞。

それから、一番最後の文章は、「無生物主語が因果関係を示す場合の否定文なので、譲歩的にとらえることができる」そうである。もちろん、私は全くそんなことは考えておらず、したがって私の訳文はあまり譲歩っぽくはない。

ここで、手持ちの池澤夏樹の訳を見てみた。

そうやって暮らしていく中で、ぼくはたくさんの重要人物に会うことになった。大人たちと過ごすことが多かったし、ずいぶん近くから彼らを見た。それでも、彼らについてのぼくの考えはあまり変わらなかった。


大人が重要人物になってる!? ※2012/11/01追記:そういう意味にとれなくもないと今は思う。

もう一つべつの訳

こうしてぼくは生きてきて、ちゃんとしたひとたちともおおぜいであってきた。おとなのひとのなかでくらしてきた。ちかくでも見られた。でもそれでなにかいいことがわかったわけでもなかった。


大久保ゆう訳


・・・・・2011年12月25日に書いた記事です・・・・・