「虎と小鳥のフランス日記」第9話にでてきたヴォージュ広場について自習してみました。

Place des Vosges ヴォージュ広場 住所:75004 Paris
パリのヴォージュ広場
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解説やCamilleの話にもありましたが、パリのまんなかあたりに位置する400年前にできた広場。敷地が正方形で、まわりを赤レンガの建物が囲っています。

この広場を作ったのはアンリ4世で、1605年に着工、1612年に完成(このとき、アンリ4世はもう亡くなっていました)。ヨーロッパの美しい街並みをパリにも作りたいと思ってデザインした上での建築です。アンリ4世は、べつに自分の力を見せつけたり、贅沢するために作ったわけではなく、パリにもほかの国のような文化を作りたいと思っていたそうです。その時の名前は、Place Royale (王様の広場)。パリで計画して作った最古の広場です。


ヴォージュ広場 ルイ13世の像
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これは、広場にあるルイ13世の像。ルイ13世(1601-1643)はアンリ4世の息子で、ブルボン朝第2代のフランス国王。アンリ4世が暗殺されてしまったので、まだ9歳ぐらいのときに即位。小さいうちは、母親マリーが摂政をつとめていて、それがそのうち二人の権力争いに発展します。きっとやり手のお母さんだったのでしょう。

1615年にアンヌ・ドートリッシュ(Anne d'Autriche)と結婚。アンヌはスペインの王女さま。夫婦仲があまりよくなかったけれど(この時代、みんな政略結婚だから夫婦仲も何もないとは思うけど)、結婚23年目にして、ルイ14世が誕生。私があまりフランスの歴史に詳しくないせいか、なんとなくアンリ4世とルイ14世にはさまれて、影がうすい感じのするルイ13世ですが、リシュリュー枢機卿(Richelieu)(1585-1642)という、すぐれた政治家(であり聖職者)を宰相にしたことで、絶対王政につくことができました。

ちなみに、この馬にのっている像のオリジナルは、フランス革命のときに溶けてしまったので、あとでまたそっくりなのを作ったものです。


革命後の1800年に「もう王さまは、いないし」ということで、ナポレオンが広場の名前を「Place des Vosges」にしました。Vosesという県がフランスにあるのですが、そこが税金をまっさきにおさめたから、とか、たくさんおさめたからこの名前にしたそうです。本当なんでしょうかね?

敷地はだいたい140メートル四方の正方形で、まわりに赤レンガの17世紀風の建物が建っており、ここにいろんな貴族や名士が住んでいたそうです。そのようにこのあたりは15世紀~17世紀は王侯貴族の住む場所だったのですが、17世紀末ごろからだんだんさびれていきました。

現在、このあたりは歴史的建造物が多く、古い街並みや、アーケードに入っているいろんなお店が人気のツーリストスポットです。1960年代後半から70年にかけて、パリで大規模な再開発があった時、当時の文化大臣アンドレ・マルローの意向で、古い建物は基本的にそのままにして、修復をほどこしたり、まわりを小奇麗にしたんだそうです。

ちなみに、ヴォージュ広場のあるところはマレ地区(le Marais)と呼ばれ、セーヌ川のすぐそばです。マレはmaraisで、沼地、湿地という意味で、このあたりは大昔は沼地だったということです。


今回は、BBC制作の動画をはっておきます。約4分。英語ですが、ヴォージュ広場の中がよくわかりますし、最後に、赤レンガの建物の最上階に住んでいるお医者さんが出てきて、そこからの眺めを見ることができます。プレゼンターの女性はフランス人なので、フランス人アクセントのイギリス英語ですかね。

Place des Vosges - Paris - BBC 4分1秒